高畑勲の特別講演 | アニメーションにおける空間表現について

以下は、2008年の9月18日におこなわれた高畑勲の特別講演、『アニメーションにおける空間表現について』を見てきた時に書いた感想文です。初出はSNSへの投稿ですが、ナカナカ勉強になったので、ここでオープンにしておきます。


宮崎駿に多大な影響を及ぼしたと言われる高畑勲ですが、演出方法や考え方について彼の口から直接語られる機会はそう多くないのでとても貴重です。備忘としてメモしたものを全部そのまま載せますが、ちょー長いので興味ない方は早めにスルーしてください。あと、自分の勝手な解釈もありますので下にあるのが即ち講演内容とは思わないでください。

今回講演依頼を承諾した背景

スタジオジブリ以前の作品(および演出方法)について言及・解説する機会がなかったから一度まとめておきたかった。

レイアウトとはコンティニュイティ(絵コンテ)を補足・決定するもの

アニメーションを撮ろうとした場合、決定しなくてはならない条件が色々とある。カメラひとつにしても、広角なのか望遠なのか、固定なのかパンするのか、あるいは6:4・7:3・正面・真横から撮るのかなど。複雑な条件が沢山ある。それを補足・決定するためにレイアウトは必要。

小津安二郎作品について

(ローアングルや確信犯的なイマジナリーライン越えがよく指摘されるが)自分は水平線と垂直線が印象的であったと考える。例えば自分に話しかけてくるかのようなカメラワークは観客の情感に訴えるという意味でとても重要だった。また、それらの演出方法は西洋にはないモノだった。

セロ弾きのゴーシュ:ゴーシュと鳥のシーン】上映+解説

アニメの中で鳥を鳥として見せるのは難しい。絵を描く人間は、意図的に様々な角度から鳥を見せようとする。例えば水木しげるの絵はぺっちゃんこでしょ?日本人の顔は平面だからそれでいいんです。でも、西洋だとそうはいかない。鼻を無視できない。

【じゃりん子チエ:百合根光三が亡き猫のアントニオを悼んで泣くシーン】上映+解説

はるき悦巳の原作漫画世界には、真正面から見た絵と真横から見た絵しかない。自分は演出家としてそれを崩さない努力をした。
先日お亡くなりになった赤塚不二夫のアニメの仕事をしたこともあったが、彼の絵は一面的で別の角度という概念がなかった。自分は同じようにそれを一面的に描く努力をしたが、考え方の違うアニメーターがニャロメを別の角度から不自然に描いたことがあった。赤塚不二夫はその変な角度のニャロメを面白がり、それをそのまま原作(連載漫画)に何度か登場させた。

昔のディズニー映画(白雪姫+ピノキオ辺りの作品?)について

ディズニー映画は技術的には優れているものの、縦方向の動きが欠如しているから本当の効果を獲得していない。ミッキーの耳は何だか変だし、それに影響を受けたのがアトムだが、それはまた別の話。。

アメリカと日本のアニメーションに関する考え方の違い

東映で働いていた時代、何度かアメリカのプロダクションからアニメの制作依頼が届いた。その際によく口論になったのがカメラについて。例えば背中なめの映像を日本では是とするが、アメリカでは否と考える。その根本的違いが日米のアニメーションにはある。

名作シリーズ(ハイジ+母をたずねて+アン)について

名作だからといってアニメ化するのは頭がオカシイ。
必ずしもアニメにして良いものになる題材ではないということ

【母を訪ねて三千里:屋根の上の小さな海】←引越しがテーマ

特にコメントなし。

宮崎駿のレイアウトについて

彼の描くレイアウトはカメラが動くことを前提として描かれたモノであって、パースとして成立していないとかそういうことは重要ではない。むしろ、絵画的なルールを破って描かれた画でないと実感が得られない。また、狭い空間の中で家具や内装を全て表現するのはとても難しい。今、同じことをやれといってもできる人は少ない。(自分は絵が描けないので)アニメの演出を考えるときは宮崎と机を並べて一緒に考えた。自分は演出プランを考え、彼が画にしてくれた。彼がいなかったら、あそこまでの空間表現は作れなかったと思う。

安寿と厨子王丸

ここに横の動きを表現したシーン。長回しという意味では画期的なシーンだが、縦方向の動きは一切見られない。芹川(有吾)さんが手がけた映画にわんぱく王子の大蛇退治というのがあるが、そこでは縦方向に挑戦しているが、まだ成功と呼ぶには稚拙だった。自分は左右を大きく使うよりも縦方向の動きを表現したかった。

アルプスの少女ハイジ:ハイジが自分の生まれた村へ行くシーン】

ここでは、村へ続く道が背景として用意されているが、縦方向への動きへの挑戦は見送った。当時の過酷なスケジュールで挑むにはあまりに難しい問題だった。

キリクと魔女

CG全盛の現代において、敢えて横方向の動きにこだわった作品。自分はこの作品を評価しているが、宮崎駿はこれを酷評している。日本は主観主義にかたより過ぎているように感じている。客観でありながら、心情を描いている作品に最近は興味がある。

キリク以外で気になる+見過ごせない映画

赤い風船・白い馬+溝口健二の一連の作品

【やぶにらみの暴君:城壁に追い詰められるシーン】←カリオストロ城にちょー似てる

素晴らしい作品。特に鳥が落下する場面は秀逸。演出が効果的・簡潔・熱い。ディズニーは技術は凄いが、何も迫ってこない。全てが他人事。そう若いときは感じていた。

ピノキオ:鯨に追われるクライマックスシーン】

制作された時代背景を考えると大したもの。だが、たまの縦方向を除いてはほぼ横方向の動きに終始。悪い意味での左右の節度がある。これでは画面に引き込まれない。

太陽の王子 ホルスの大冒険:巨大魚が迫ってくるシーン】

設計は悪くない。しかし遠近の表現が速すぎる。でも、客を巻き込みたいという気持ちは分かってもらえるはず。

表現について

ディズニーは外から表現し、我々(日本)は中(内)から表現している。外からの表現が獲得するのは「思いやり」であり、中からの表現が獲得するのは「思い入れ」である。前者は「ハラハラ」を誘発し、後者は「ドキドキ」を誘発する。ディズニーはディズニーランドを作ってはじめて、「ハラハラ」と「ドキドキ」を獲得したといえる。これはアニメの限界ではなく、演出方法の限界。

歌川広重の空間表現について

なぜ彼の描く風景画はぺしゃんこなのに平面に没していないのか?それは心情が絵に入っているから。映画的だから。平面を多層化し、そこに視点を入れた。画期的だった。

ピノキオ:イントロ部分】

多層(レイヤー構造)でロングショット+3D空間を表現。カメラをパンしたタイミングで下層の絵を取り替えていることを指摘。アニメーションは命を与える魔法だというウォルトディズニーのポリシーに準じ、4万8000ドルをかけて作り上げたシーンであったが、観客からの評価は全く得られなかった。これに人の目線(主観)が加わっていれば、誰もが心奪われるシーンとなっていたはず。

高畑のまとめ

「ホルス。よくやってるよね。」

cmrr_xxxのまとめ

アニメも音楽もデザインも映像も。人の感情・心情というフィルターを通してやれば情感として伝わる。情報も多くなる。心の介在のない(あるいは他者の介在を許さない)表現など、所詮自己満足でしかないのかも知れない。それにしても高畑勲は凄かった。もっと色んな場所で話して欲しいです。